パリ2024 技術者インタビュー
オットーボック修理サービスセンターにて、スタッフとして従事した井上拓三さん(株式会社澤村義肢製作所)にお話を伺いました。
オットーボック修理サービスセンターにて、スタッフとして従事した井上拓三さんは、株式会社澤村義肢製作所に入社して4年目の義肢装具士。「やり抜く強さを持つ若手にチャンスを与え、挑戦をして欲しい。」と願う澤村義肢製作所の決定により参加を伝えられた時は、「嬉しい反面、自分でいいのか?」と驚いたと話します。それからパリ2024までの約1年間、井上さんは義足の製作やパーツの勉強にはじまり、小西社長(澤村義肢製作所)の紹介を受けアメリカの義肢製作所での短期修行まで行い、準備を整えました。
いざ臨んだパリ2024。オットーボック修理サービスの雰囲気は「皆さん本当に優しく温かく、分からないことは何でも教えてくれました」と笑顔で振り返ります。
「車いすの修理が多い中、長下肢装具の修理や、後半には義肢のソケットラミネーションも任せてもらうことができました。ラミネーションの作業をしているスタッフに工程について声をかけたら、やっていいよと任せて貰えました。」
自分から声をかけたことで、やりたかった義足の修理を任せられる結果となり、「最初から積極的に発言すれば良かった」と井上さんは反省していましたが、修理サービスセンターでは1日7-8件も修理依頼が回って来るハードスケジュール。その中で挑戦する姿勢は簡単にできることではありません。
パリ滞在中は、各国から集まったスタッフと競技会場に観戦に行ったり、製作技術について意見交換したりと活発な交流もされたとのことで、オットーボック・ジャパンとしても嬉しい限りです。パリ2024の経験が、これからも臨床や製作現場での糧となることを願っています。
*井上さんの派遣にあたり、多大なる協力をいただいた株式会社澤村義肢製作所の皆様に、心より御礼申し上げます。
オットーボック修理サービスセンターにて、スタッフとして従事した井上拓三さんは、株式会社澤村義肢製作所に入社して4年目の義肢装具士。「やり抜く強さを持つ若手にチャンスを与え、挑戦をして欲しい。」と願う澤村義肢製作所の決定により参加を伝えられた時は、「嬉しい反面、自分でいいのか?」と驚いたと話します。それからパリ2024までの約1年間、井上さんは義足の製作やパーツの勉強にはじまり、小西社長(澤村義肢製作所)の紹介を受けアメリカの義肢製作所での短期修行まで行い、準備を整えました。
いざ臨んだパリ2024。オットーボック修理サービスの雰囲気は「皆さん本当に優しく温かく、分からないことは何でも教えてくれました」と笑顔で振り返ります。
「車いすの修理が多い中、長下肢装具の修理や、後半には義肢のソケットラミネーションも任せてもらうことができました。ラミネーションの作業をしているスタッフに工程について声をかけたら、やっていいよと任せて貰えました。」
自分から声をかけたことで、やりたかった義足の修理を任せられる結果となり、「最初から積極的に発言すれば良かった」と井上さんは反省していましたが、修理サービスセンターでは1日7-8件も修理依頼が回って来るハードスケジュール。その中で挑戦する姿勢は簡単にできることではありません。
パリ滞在中は、各国から集まったスタッフと競技会場に観戦に行ったり、製作技術について意見交換したりと活発な交流もされたとのことで、オットーボック・ジャパンとしても嬉しい限りです。パリ2024の経験が、これからも臨床や製作現場での糧となることを願っています。
*井上さんの派遣にあたり、多大なる協力をいただいた株式会社澤村義肢製作所の皆様に、心より御礼申し上げます。
オットーボック修理サービスセンターにて、スタッフとして従事した井上拓三さんは、株式会社澤村義肢製作所に入社して4年目の義肢装具士。「やり抜く強さを持つ若手にチャンスを与え、挑戦をして欲しい。」と願う澤村義肢製作所の決定により参加を伝えられた時は、「嬉しい反面、自分でいいのか?」と驚いたと話します。それからパリ2024までの約1年間、井上さんは義足の製作やパーツの勉強にはじまり、小西社長(澤村義肢製作所)の紹介を受けアメリカの義肢製作所での短期修行まで行い、準備を整えました。
いざ臨んだパリ2024。オットーボック修理サービスの雰囲気は「皆さん本当に優しく温かく、分からないことは何でも教えてくれました」と笑顔で振り返ります。
「車いすの修理が多い中、長下肢装具の修理や、後半には義肢のソケットラミネーションも任せてもらうことができました。ラミネーションの作業をしているスタッフに工程について声をかけたら、やっていいよと任せて貰えました。」
自分から声をかけたことで、やりたかった義足の修理を任せられる結果となり、「最初から積極的に発言すれば良かった」と井上さんは反省していましたが、修理サービスセンターでは1日7-8件も修理依頼が回って来るハードスケジュール。その中で挑戦する姿勢は簡単にできることではありません。
パリ滞在中は、各国から集まったスタッフと競技会場に観戦に行ったり、製作技術について意見交換したりと活発な交流もされたとのことで、オットーボック・ジャパンとしても嬉しい限りです。パリ2024の経験が、これからも臨床や製作現場での糧となることを願っています。
*井上さんの派遣にあたり、多大なる協力をいただいた株式会社澤村義肢製作所の皆様に、心より御礼申し上げます。
オットーボック修理サービスセンターにて、スタッフとして従事した井上拓三さんは、株式会社澤村義肢製作所に入社して4年目の義肢装具士。「やり抜く強さを持つ若手にチャンスを与え、挑戦をして欲しい。」と願う澤村義肢製作所の決定により参加を伝えられた時は、「嬉しい反面、自分でいいのか?」と驚いたと話します。それからパリ2024までの約1年間、井上さんは義足の製作やパーツの勉強にはじまり、小西社長(澤村義肢製作所)の紹介を受けアメリカの義肢製作所での短期修行まで行い、準備を整えました。
いざ臨んだパリ2024。オットーボック修理サービスの雰囲気は「皆さん本当に優しく温かく、分からないことは何でも教えてくれました」と笑顔で振り返ります。
「車いすの修理が多い中、長下肢装具の修理や、後半には義肢のソケットラミネーションも任せてもらうことができました。ラミネーションの作業をしているスタッフに工程について声をかけたら、やっていいよと任せて貰えました。」
自分から声をかけたことで、やりたかった義足の修理を任せられる結果となり、「最初から積極的に発言すれば良かった」と井上さんは反省していましたが、修理サービスセンターでは1日7-8件も修理依頼が回って来るハードスケジュール。その中で挑戦する姿勢は簡単にできることではありません。
パリ滞在中は、各国から集まったスタッフと競技会場に観戦に行ったり、製作技術について意見交換したりと活発な交流もされたとのことで、オットーボック・ジャパンとしても嬉しい限りです。パリ2024の経験が、これからも臨床や製作現場での糧となることを願っています。
*井上さんの派遣にあたり、多大なる協力をいただいた株式会社澤村義肢製作所の皆様に、心より御礼申し上げます。